昨日 リビングWEBの記事 掲載になりました。


かぞくのハンドメイドvol.12 買うならどんなミシン?



私がむすめの洋服を縫うのに使用しているミシンは
こちらです。
ボタンホールが、ボタン1回押せば仕上がる
便利なミシンです。
 





そして、家族や友人に薦めているのが
こちら。
近い性能のミシンもいろいろあるようです。
旧モデルだと少しお安く買えるお店もあるかも。

 


 













フットコントローラーもお忘れなく!




さて、先週日曜で、神楽坂でのフェア終了となりました。
お越しいただき、ありがとうございました!!

ここん.では
年始までフェア新作のお取扱いいただき、
雑貨と合わせて、引き続き
販売させていただくことになりました。

いま、年末進行でお忙しいみなさま、
お正月からここん.は開いています。
のんびりゆったり神楽坂のお散歩などいかかでしょうか?









下のバナークリックで
応援よろしくお願いいたします! 


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突然ですが

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メール配信をご希望の方には、
お見逃しのないよう、先にお知らせしたいと思っています。


本日午後から、↓のフォームにて
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ご登録お待ちしております!


 
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FBのほうで、いい本を紹介して、とリクエストをいただいたので、
昨年、出会った本を紹介します。


事業計画書を作る必要に追われて何冊か読んで、
こちらが一番、おもしろくて、勉強になりました。




この本は、起業の人向け、というわけではありません。

会社組織の中で
利益を生むためのビジネスモデルの作り方から
わかりやすく 説明されています。
事業計画書で夢を描いて終わり、ではなくて
それを成功させるためのポイントが明快です。


事業計画書は 「会社のルート案内」だから
従業員すべてが把握していないと良い方向へ進まないのですが
これを知らない会社員、
公開すらしない会社があります。

まあ、そんなんでも、
会社は無くなりませんけどね。
キャッシュがなくなって潰れるときに潰れるだけです。



ところで、今日たまたま雑誌で
又吉直樹さんの本の読み方を知りました。
本にガンガン書きこみをされるとのこと。
その書き込みのルールも決めていて 読み返す。
複数のジャンルの本を持ち、場所に合わせて読む。
さすが、小説家になる人だと思いました。


私はカバン屋だけど、
本屋と図書館がだいすき。

webの情報はどうしても細切れすぎて
すぐ頭から去っていってしまうので

本屋さんで新刊や雑誌をチェックしつつ、
「投資になる」と思ったら買っています。
人生は短いので、「読んでみたい本」は一旦保留。
子育てがもうすこし楽になったときの楽しみに。

2か所の図書館からも月に20〜30冊借りているので、
期限内に読み切ることでギリギリになっちゃうけど笑

こどもたちの絵本も借りると、
図書館へ運ぶときは軽い筋トレになっています。
でも、返してまた次の予約の本を手にすると
ワクワクしてやめられないんですよねー。

こどもたちが「アンパンマン」で黙っている15分間に
次の日のおかずを鍋で煮ながら 立ち読みしたりね。

夫がお休みの日は、ここぞとばかりに読んでいます。

買った本も喜んで読むけど、
なかなか読み返す時間はない
 

だからビジネス書などは、
大事なページに大きなフセンを貼って
そこに要約や、自分の課題を書きこんでいます。
後でそれをペリっとはがして、
自分のノートに写して テーマ別に保管しています。



昔から、
読書感想文が苦手だったんですよー

「なぜ、読んで思ったことを文章にするの?
意味がわからないよ どうやって書くの??」

と母親に訴えた小学2年生ぐらいの頃から、
中年になった今もよくわかりません。
 
なので、このブログでは
書評ではなく「良かった本の紹介」だけしますね。
ご興味のある方はぜひ、書店へ!

 
昨日、サンケイリビングwebの記事 更新となりました

「めんどうな名前付けも せっかくだから楽しくきれいに!作る小ワザ 」


小ワザですが、「せっかくだから楽しく」というところがポイントです。



しかしですね、
なんで、幼稚園も保育園も義務教育も 
「入学準備品」が多いのでしょうね
(そもそもそこに疑問が)

おさいほうセットも、もっとシンプルなもののほうが
大人になっても使えて、いいのに。

ランドセルだって、カバン屋からしたら
安すぎなものから、適正価格のものまでバラバラで

でも、給食費が払えない家庭からしたら
安価なランドセルだって負担なのにな。


私は体格がよくて、10歳すぎたころにすでに身長(実は体重も)が
ほとんど今とかわらず、ランドセルが恥ずかしくて・・・
先生がリュックサックにしていいと言ってくれたので
使わなくなってしまいました。
(主婦がランドセル背負ってたら・・・見た目まずいですよね笑)

私のようにせっかく奮発して祖母に買ってもらったのに
4年しか使えないケースもありますしね。



私の地元、高級住宅地と思われている葉山ですが、
現在の町立小学校の給食費の未納率を知り、
思わず悲鳴をあげてしまいました。




だから、というわけではないのですが

こどもが使う道具の
名前付けがラクになったり、
ハンドメイドをちょっとして
暮しの中に彩りをプラスするのって
心が満たされるかなぁ、と思うのです。
 
お友達がつけているものを見るだけでも
「わー かわいー!」って盛り上がるしね。













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バッグフェア5日目となりました。
明日12/10の営業時間のみ、18時半に変更になりそうです。
詳しくはここんtwitter




初日は、フェアの前に、
朝の9時から、一時間半みっちり
保育園のお遊戯発表会へ行ってきました。

3歳児の大きくて元気で、音階のない歌声も
4歳児のかわいい「おいもをどうぞ」(知ってる方いるかしら?)
5歳の、ワザの効いた演技も

見ているだけで涙がでてきてしまいます。
タオルを持っていけばよかった。




長女は秋の運動会の踊りで ポンポンを投げ 号泣。

その前の 夏の盆踊りも 泣いて踊らず。

去年の 敬老会も 舞台の上で最初から最後まで棒立ち。

2年前の運動会も、号泣で何もできず。

(去年の運動会は、当日朝、ロタウィルスの嘔吐で欠席)





超・繊細 というか
泣けばなんとかなると思っているフシがあります。

たとえば、
おかあさんといっしょ の体操のとき
うしろで立って傍観している子はまだ個性の範囲内で
おそらく、
撮影には一切入れてもらえない
(つまり 放送にはのらない)タイプです。



泣きだしたらとまらなくて、
かんしゃくもち 

こちらの語りかけに対して
無視や、反応がうすーーい。


あんまりなので、
子育て支援カウンセラーさんに
見守ってもらっています。


そんな長女が ちゃんと踊っているではありませんか。

振付逆!!だけど。

集中力のきれた次女2歳をあやしつつ、
長女の成長に感動して、
休憩なしの1時間半の観劇。
パパは出勤前、ビデオ撮影で最後まで立ちっぱなし。

夫婦でクタクタになった
お遊戯会でした。

 
今日から 神楽坂ここん (クリックでお店のブログにとびます)

で「冬のキャンバス」展がはじまります!


同時開催、ガラス作家さんの雑貨フェアもやります。

冬にガラスっていいかも!あたらしい価値観ですね。




昨日までの「わたしの歴史」
たくさんの方にお読みいただき、
ほんとうに ありがとうございました。
FBのほうに感想もいただいて
ゆっくり、お返事させてください。

ブログランキングが4位まであがって、
はじめてのことで震えました笑



さて、いまからむすめのミュージカル
おおかみと11匹のこやぎ を見にいってきます!

そのあと、13時頃 神楽坂に出没します!





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前回までのつづきです。


2006年に、手作り作家仲間に誘われて


女性起業家の勉強会に参加しました。




わたしのかばんづくりも

事業になる可能性があるかもしれないと感じ、

創業の情報を集めはじめ、

東京商工会議所の起業塾に通いました。







このホームページを作ったのも 

ブログをはじめたのもこの年です。




それからは

自己資金をつくるため何年もWワークやトリプルワーク。



バッグデザイナースクールの上級コースを修了しました。


通勤電車の中で、簿記も勉強しました。




取引先もできて、展覧会ごとに新作を沢山縫いました。






バッグのことを研究しすぎて、

目ざとく「これはあれのコピーだな」と気づけるほどに。



お客さんと縁あって結婚して、こどもを2人産みました。







育休はとらずにかばんを縫い続け

毎年、青色申告しています。






そうして気がついたら10年、

Tracking+をつづけてきました。







マンガや絵の夢をあきらめたあと


ふたたび見えてきた夢もなかなか、険しい道。








かばんが汚れてはまずいのでノーメークのままで、うっかり

ダッシュで保育園へお迎えにいく日が続いています。





毎日お金のことを考えて肩が凝りっぱなし、


ていねいな暮らし、なんて夢のまた夢。


子育ても自分で満足にできないし、


夫に家事を手伝ってもらえない日が続くと、すぐに汚部屋に。





とつぜん人から嫉妬されたり、

小さいこどもがいることで飛んでくる言葉に

いちいちナイーブになります。











私は 子育てを始めてから、

生きるのが苦しくなってしまい

その原因は「自己肯定感」というものが極端に低くて

「自分自身に価値がないから大事にしてはいけない」

と思い込んでいるせいだと気がづきました。







そして、親は愛情をもって見守って育ててくれたのに

「わたしはお姉ちゃんだから、こどもでいてはいけない」と

幼い頃から、自分で決めてしまったようなのです。










昔から私のことを知っている人は

ひょっとしたら気づいているかもしれませんが

ボーダーぎりぎりの依存体質で、


「我慢して頑張らないと愛してもらえない」


「何事も絶対に失敗してはいけない」

と怯えていて

心配がとまらなくなって、

自分のマイナスの感情を扱うのが、とてもつらいです。




けれど、劣等感のかたまりのおかげで


他人の「良いところ」には超・敏感で、

ものすごくキラキラとまぶしく見えて

憧れて好きになってしまって 妬めない。




いま、



喫茶店やダイニングテーブルで勉強しているひとも、



ノルマや期限を抱えて必死に働いている人も、



こどもや、親のためにぼろぼろになっている人も



自分の病気と闘っている人も



幸せになりたくて恋愛に悩んでいる人も



辛さを抱えて気丈に振る舞う人も





男性も、女性も、老人も 赤ちゃんも









すべての人の本質が



すごくかっこよくて、



輝いていて、美しく見えます。









姿を一目みて、



話す声や、



その人がつむいだ文章や



作品からもわかります。









口に出さないのは、そんなこと言ったら



怖がられちゃうから。




そういう人たちの飾らない輝きに

たまに、もらい泣きをしながら


プラスのエネルギーを分けてもらって生きています。






女性が輝ける○○ なんてスローガンなくたって



私にはすべての人が輝いて見えます。




トラウマになった学校の先生たちだってね、


もう会うことはないだろうけれど、


「働く母の先輩」として 憧れます。





いつか、この育児ノイローゼの自分のことも 


「あのころの私も、ちゃんと輝いていた!」と


振り返られる日がくるまで 仕事をつづけられるかな?







作品を見て応援してくれた





出会ったすべての大好きな人たちのおかげで





今日もバッグづくりを続けています。








最近、事業を続けていくうえで、

新しい夢ができました。






学生のころから言っていた


「早く孫がほしい」という夢は


あいかわらず 今でも持っています笑






夫と住宅ローンをがんばって返して、


むすめたちが「タカラジェンヌになりたい!」とか


もし万が一、言い出しても



失敗したっていいから、

アルバイトなんてしないでレッスンに集中しなさい




と応援できるよう、働いていたい。







悪いニュースをみるたびに



だれもが家で安心して暮らせて、



子育てとか介護も 楽しくできる世界でいられるよう



毎日 平和を祈りながら。















どうしてかばん作家になったのか 


は、これでおしまいです。









お読みいただいて、ありがとうございました。





文章が長くなっちゃってごめんなさい。



読んでくださったかた、おつかれさまです。

















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わたしの歴史 つづきます。




かばん作家になれるかどうかわからないけど

始めた頃の話です。










退職した手芸メーカーは、産休・育休がとれない会社でした。



今の私なら「とりま-す!」くらい言ってみるかもしれませんが


当時は、古くからの会社の習慣を


ひっくり返す勇気も実力もありませんでした。








友達の勤務先も、いろいろな業種で


深夜までの残業でなんとか回しているところが多くて。



病気になったらやめさせるなんて、


人材の使い捨てじゃない?



女性が働きつづけられない環境を放置したら


少子化するにきまってるわぁ、と





どこに怒りをぶつけていいのやら、

悶々とした気持ちでいました。








ちょうど派遣労働が増えてきて

リストラも当たり前のようになって。



就職できなかった友達はずっとアルバイト。






私が転職をしようとしたバッグ業界の求人は

人件費のせいで、
海外でパターンから製造までするような構造になっていました。

わずかに、関西や台東区にメーカーが残るくらい。


バッグ職人になりたいけれど、
葉山から通える工場がみつからない。

母が たまに倒れるのが 心配でした。



まだ結婚する予定はなかったのに

こどもの頃からの
「先回り」気質で、いろいろ考えてしまって。



やっと探し出した
デザイナー求人は勤務時間が10-19時・残業多 とか。



世間の保育園は遅くても19時位までなのに


無認可に通わせればいいという話だけではなく、

「こどもが生きる時間」があるのに

なんだか、遅くまで働く仕事ばっかり・・・・



(デザイナーも企業も、今も相変わらずです。

 朝型にしたら、もっといい製品作れるんじゃないかな?)





販売や、飲食業のお仕事をされているひとも

同じジレンマを抱えているのではないか、と思います。




男性も、女性も、長く働きすぎ。












悩んでもしかたないので


とにかく働こうと思って

職業用ミシンを買って

個人のお客さんから、バッグのオーダーを受けはじめました。




しばらくすると

母は宝塚歌劇と出会い、みるみるうちに回復。



ほっと 一安心。



バッグづくりのスクールに入り、



再び独立するまで実家に住ませてもらうことになりました。





こうして、作家になりました。




なろう!と思ってなったわけではなく、


いろいろな制約のなか、

かばんを縫うことしかできなかったのです。






バッグ作家のtoboさんと



会社の先輩と、パレットクラブのメンバー経由で



偶然知り合いになって 刺激をうけました。









だめならまた就職活動でもするかな、と

思っていたけれど、





仕事が途切れることなく、



アイディアも枯れることなく。




展覧会のお誘いを次々とかけていただけて、
お客さんも来てくれて。





絵をかくことと、かばんを縫うことは




私にとって同じ。




キャンバスが、かばんになっただけなのです。














怒りと葛藤を糧にして



かばんづくりを始めた後の話は



あと一回 続きます。

















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前回のつづき、
いよいよ21世紀に入りました。



2002年の春、手芸キットメーカーに就職。



商品企画部で、多忙な日々をすごしました。



クリエイターとして尊敬する先輩や
同期・後輩との出会いもありました。




会社ではデザイン画から商品化までの業務をし、


大学時代はノータッチだったコンピューター、

Macのデザインソフトも使えるようになりました。


パッケージデザインをしたり、商品の説明書を作ったり、

カタログ撮影にも関われたし、手芸の講師もやりました。




メーカーが商品を出すには、デザイナーだけではなく

さまざまな部署の人が関わって成立していることが

よくわかりました。



わたしの進路をきめたディズニーさんと一緒に

企画商品も担当して 3年間ほぼ毎月、商品を世に出しました。



ミッキーさんの黒目の角度に何度もダメだしがでるほど厳しかったし

スケジュールがきつくて、あちらとこちらの板挟み。

ストレスで内臓にかなりダメージを受けて

通勤電車で倒れたりしたけれど

毎回、粘り強くやりとりして、少しずつ自信をつけました。





そういえば、この頃

大学生のときからの友達から

一緒に雑誌を作ろう、と誘われ

はじめて、人に見せるためのマンガを描きあげました。





5話くらい描いて

そこでマンガ家の夢は、昇華しました。




このシリーズの挿絵みたいな、

ほのぼの(!?)エッセイマンガです。


内容が黒すぎて、夫にもまだ見せていません。





その雑誌メンバーと、のちにカフェ・イベントをしたり

今でも楽しい仲間です。







そして転機となったのは、

プロのイラストレーターから学べる 

パレットクラブスクールを知ったことです。


そこに当時「てづくり教室」という日曜コースができ、

mina perhonenの皆川明さん

イラストレーターのめぐろみよさん

how to liveの勝屋まゆみさん

ほか、多数の有名なデザイナー・作家さんから教われるとあって

通うことにしました。

(現在パレットクラブはイラスト・絵画コースだけだと思います。)





仕事も手芸、オフでも手芸。



スクールでは手芸のテクニック だけではなく、

オリジナル作品を創作する課題が多かったです。




課題をこなして1年後。



クラスの展覧会を発案し

原宿のギャラリーで仕立てたバッグを発表したのが、

すべてのはじまりです。



2005年のことでした。





その後、会社の同僚とグループ展をし、

バッグのデザインと、縫製技術が向上するよう創意工夫して。



展覧会には友達が来てくれて

本当にうれしかったし、助けてもらいました。



次第に、新規のお客様がいらして、

かばんを買ってもらえるようになりました。








その間も父の闘病は続き

私は一人暮らしをやめて、7年ぶりに実家に戻りました。


わがまま言って母を困らせていた父とは

口喧嘩ばっかりしていましたが。



歩けなくなった父が、

展覧会のかばんを見せて、と言いました。



「あなたが就職活動をしていたときに、

 お父さんの知り合いの会社を紹介をすればよかったな。

 それだけが心残りだ。


 けれど、こんなバッグを作れるようになった。

 たくさんの人に、作ってあげなさい」 と。



いったい、どこのコネがあったのかは不明です笑


父はわりと私のことに気が付いていました。



大学生時代の挫折も、

生活費と就職活動で、親には頼れなかったことも。


意地っぱりな長女が

一度だけ「会社を辞めたい」と泣きごとを言った後、

父はいろいろと調べていたらしいのです。


それに、毎朝 出社するときの顔つきが

相当ひどかったのでしょう。



そうして数日で会話ができなくなって

父は亡くなって

こんどは、

祖父母の看病と父の看病を長年つづけ 

体重30キロになった母親が

ひっくり返って倒れてしまいました。





私は退社することにしました。









人生の短さを目の当たりにし、

家族の尊さを知り、

自分も家族を持てたら・・・と思い。



そして

私には、ものづくりしかできないから

自分で働き方をつくれないだろうか、と。











まだ続きます。







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前回のつづきです。



念願だった、美術大学に現役合格!




日本画を思いっきり勉強して

作家か、絵の先生か、技術を生かした職業につきたいな。



マンガはすっかり描かなくなっていました。


クラスメイトは超達筆で、

筆ペンでマンガをサラサラ描けるんですよー



己のマンガ家になる才能がないことを思い知りました。





通学に往復5時間かかるので、一人暮らしも始めました。





美大の授業料に、アパートの家賃  親には本当に感謝しています。








描いている姿の写真が一枚も残っていないのでこれを。

成人式の年、広報さがみはら に載ったとき。







成人式は出席しないで 当日はアルバイトしていました。



晴れ着と着付けのお金を親に頼むのが申し訳なくて。



後日、親戚の振袖で記念撮影だけしました。









葉山のビーチサンダルのお店、



げんべいを描いたこともあります。











鳥獣戯画や、紫式部日記絵巻も模写しました。









こういう絵を描いてました。

これで、幅1.5メートルくらいの巨大な絵です。







学年があがると絵のサイズもどんどん大きくなって、

画材のお金も、毎日の食費も稼がなくちゃならなくて



勉強よりアルバイトのほうに時間をとられるようなかんじに。







絵の具を買う?それとも学食いく?どっち?



みたいな。









でもアルバイトもとっても楽しかったんです。






アルバイト先はまたファミレス。


出世して責任者(正社員の代わりみたいなもの)もしていました。



「メンバーが楽しく働ける職場」を目指して



高校生、大学生アルバイトチームの人材マネジメントをしてました。



だんだんと

社会の構図を理解していきました。




正社員、アルバイトの人件費の差とか、



マニュアルをどう徹底させていくか、



客単価、とか、原価率、



お店の水道光熱費がどのくらいかかって



収益がどう作られていくのか。







客席には、

親分や、おかまバーで働く人、


ウェイトレスを盗撮するひと、


キレる老人や


刃物を持参して無銭飲食する人 

が来ました。









そんな困ったお客さんを笑いとばす



タフな精神力をもつ 学生〜主婦世代の従業員同士、



仲良くなって呑んで騒いで、愉快な思い出です。





バイトの後輩から


キーボードメンバーを頼まれて、ライブも何度かやって、

とてもとても 楽しかったー













趣味の手芸も、編み物したり、

洋服を買うお金がなくて縫ってました。




アクセサリーを買ってくれるような素敵な人もあまりいなかったので、

自分で作っていました。













20歳のときには、高校時代の同級生と2人で



ヨーロッパ美術館めぐりに半月間行きました。



存分に 西洋の鬼才天才のアートと建築を目に焼き付け、



ローマのジプシーのこどもに怯え、



ミレニアムの装飾がされたエッフェル塔を眺めてきました。















そんなふうに、

美大生を満喫していたのですが、











祖父母が相次いで病気になり、


なんと、働き盛りの父まで病気に。


大きな手術と治療入院をしました。




父が勤めていた銀行は再編も加速して、

仕事も難しい時期だったと思います。








もう画家も、あきらめていました。



教員免許は、取るのを途中で辞めました。


実は、小・中・高の時点で、

先生とのトラブルを泣きながら飲み込んだ思い出が。



簡単に言えばそれがトラウマになってしまって

自分は先生にはなりたくない、と思ってしまったのです。








とにかく大学卒業後は自立しないといけないので



就職活動に失敗するわけにはいきません。



就活の費用も自分でなんとかしなければなりません。



すでに、就職氷河期がこじれて長引いておりました。











画家になるには才能はもちろん、


情熱と、人脈と、



経済的な問題がクリアできないと



制作って続けられないんだなあ、と



しみじみ感じました。















就職活動では、手広く応募しました。




日本酒好きな美大生を、


最終面談まで呼んでくれたお酒の会社もありました。





人前で話すのは嫌いなのに、面接は上手くいくのです。




ひょっとして、芸術家より、商人のほうが自分は向いているのかな、

と ほのかに感じていました。





大学4年の夏には、デザイナー求人の



教育系出版社と、手芸メーカー 2社の内定をもらい、



無事に就活を終えました。






ええ、もちろん、

手芸メーカーのほうへ喜んで入社を決めました。











のちに、父から




あなたの就職の面倒をみてあげなかったことが



いちばん心残りだ








なんて言われてようやく



現実を知ることになるのですが。













次回へつづきます。

























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