わたしの歴史 つづきます。




かばん作家になれるかどうかわからないけど

始めた頃の話です。










退職した手芸メーカーは、産休・育休がとれない会社でした。



今の私なら「とりま-す!」くらい言ってみるかもしれませんが


当時は、古くからの会社の習慣を


ひっくり返す勇気も実力もありませんでした。








友達の勤務先も、いろいろな業種で


深夜までの残業でなんとか回しているところが多くて。



病気になったらやめさせるなんて、


人材の使い捨てじゃない?



女性が働きつづけられない環境を放置したら


少子化するにきまってるわぁ、と





どこに怒りをぶつけていいのやら、

悶々とした気持ちでいました。








ちょうど派遣労働が増えてきて

リストラも当たり前のようになって。



就職できなかった友達はずっとアルバイト。






私が転職をしようとしたバッグ業界の求人は

人件費のせいで、
海外でパターンから製造までするような構造になっていました。

わずかに、関西や台東区にメーカーが残るくらい。


バッグ職人になりたいけれど、
葉山から通える工場がみつからない。

母が たまに倒れるのが 心配でした。



まだ結婚する予定はなかったのに

こどもの頃からの
「先回り」気質で、いろいろ考えてしまって。



やっと探し出した
デザイナー求人は勤務時間が10-19時・残業多 とか。



世間の保育園は遅くても19時位までなのに


無認可に通わせればいいという話だけではなく、

「こどもが生きる時間」があるのに

なんだか、遅くまで働く仕事ばっかり・・・・



(デザイナーも企業も、今も相変わらずです。

 朝型にしたら、もっといい製品作れるんじゃないかな?)





販売や、飲食業のお仕事をされているひとも

同じジレンマを抱えているのではないか、と思います。




男性も、女性も、長く働きすぎ。












悩んでもしかたないので


とにかく働こうと思って

職業用ミシンを買って

個人のお客さんから、バッグのオーダーを受けはじめました。




しばらくすると

母は宝塚歌劇と出会い、みるみるうちに回復。



ほっと 一安心。



バッグづくりのスクールに入り、



再び独立するまで実家に住ませてもらうことになりました。





こうして、作家になりました。




なろう!と思ってなったわけではなく、


いろいろな制約のなか、

かばんを縫うことしかできなかったのです。






バッグ作家のtoboさんと



会社の先輩と、パレットクラブのメンバー経由で



偶然知り合いになって 刺激をうけました。









だめならまた就職活動でもするかな、と

思っていたけれど、





仕事が途切れることなく、



アイディアも枯れることなく。




展覧会のお誘いを次々とかけていただけて、
お客さんも来てくれて。





絵をかくことと、かばんを縫うことは




私にとって同じ。




キャンバスが、かばんになっただけなのです。














怒りと葛藤を糧にして



かばんづくりを始めた後の話は



あと一回 続きます。

















バッグ・小物 ブログランキングへ
コメント
コメントする
トラックバック
この記事のトラックバックURL