前回のつづき、
いよいよ21世紀に入りました。



2002年の春、手芸キットメーカーに就職。



商品企画部で、多忙な日々をすごしました。



クリエイターとして尊敬する先輩や
同期・後輩との出会いもありました。




会社ではデザイン画から商品化までの業務をし、


大学時代はノータッチだったコンピューター、

Macのデザインソフトも使えるようになりました。


パッケージデザインをしたり、商品の説明書を作ったり、

カタログ撮影にも関われたし、手芸の講師もやりました。




メーカーが商品を出すには、デザイナーだけではなく

さまざまな部署の人が関わって成立していることが

よくわかりました。



わたしの進路をきめたディズニーさんと一緒に

企画商品も担当して 3年間ほぼ毎月、商品を世に出しました。



ミッキーさんの黒目の角度に何度もダメだしがでるほど厳しかったし

スケジュールがきつくて、あちらとこちらの板挟み。

ストレスで内臓にかなりダメージを受けて

通勤電車で倒れたりしたけれど

毎回、粘り強くやりとりして、少しずつ自信をつけました。





そういえば、この頃

大学生のときからの友達から

一緒に雑誌を作ろう、と誘われ

はじめて、人に見せるためのマンガを描きあげました。





5話くらい描いて

そこでマンガ家の夢は、昇華しました。




このシリーズの挿絵みたいな、

ほのぼの(!?)エッセイマンガです。


内容が黒すぎて、夫にもまだ見せていません。





その雑誌メンバーと、のちにカフェ・イベントをしたり

今でも楽しい仲間です。







そして転機となったのは、

プロのイラストレーターから学べる 

パレットクラブスクールを知ったことです。


そこに当時「てづくり教室」という日曜コースができ、

mina perhonenの皆川明さん

イラストレーターのめぐろみよさん

how to liveの勝屋まゆみさん

ほか、多数の有名なデザイナー・作家さんから教われるとあって

通うことにしました。

(現在パレットクラブはイラスト・絵画コースだけだと思います。)





仕事も手芸、オフでも手芸。



スクールでは手芸のテクニック だけではなく、

オリジナル作品を創作する課題が多かったです。




課題をこなして1年後。



クラスの展覧会を発案し

原宿のギャラリーで仕立てたバッグを発表したのが、

すべてのはじまりです。



2005年のことでした。





その後、会社の同僚とグループ展をし、

バッグのデザインと、縫製技術が向上するよう創意工夫して。



展覧会には友達が来てくれて

本当にうれしかったし、助けてもらいました。



次第に、新規のお客様がいらして、

かばんを買ってもらえるようになりました。








その間も父の闘病は続き

私は一人暮らしをやめて、7年ぶりに実家に戻りました。


わがまま言って母を困らせていた父とは

口喧嘩ばっかりしていましたが。



歩けなくなった父が、

展覧会のかばんを見せて、と言いました。



「あなたが就職活動をしていたときに、

 お父さんの知り合いの会社を紹介をすればよかったな。

 それだけが心残りだ。


 けれど、こんなバッグを作れるようになった。

 たくさんの人に、作ってあげなさい」 と。



いったい、どこのコネがあったのかは不明です笑


父はわりと私のことに気が付いていました。



大学生時代の挫折も、

生活費と就職活動で、親には頼れなかったことも。


意地っぱりな長女が

一度だけ「会社を辞めたい」と泣きごとを言った後、

父はいろいろと調べていたらしいのです。


それに、毎朝 出社するときの顔つきが

相当ひどかったのでしょう。



そうして数日で会話ができなくなって

父は亡くなって

こんどは、

祖父母の看病と父の看病を長年つづけ 

体重30キロになった母親が

ひっくり返って倒れてしまいました。





私は退社することにしました。









人生の短さを目の当たりにし、

家族の尊さを知り、

自分も家族を持てたら・・・と思い。



そして

私には、ものづくりしかできないから

自分で働き方をつくれないだろうか、と。











まだ続きます。







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