Tracking+ 



サイトに、かばん作家としての活動のプロフィールがあるのですが


それを始めるまでの背景について、


知らない人のほうが多いかもなぁ、と思い



10周年の記念に、改めて半生を振り返り、書くことにしました。











長くなりますので、何回かに分けます。

挿絵もすこし描きました。

気長にお楽しみくだされば嬉しいです。


















私は「美大に入る」と小学校の卒業文集で宣言するほど



絵が好きでした。







絵画教室など通っていていたわけではありません。



習い事はピアノを週に1回だけで

山あそび浜あそびをする、葉山の小学生でした。











父は銀行員、母は専業主婦、歳がすこし離れた妹と弟(年子)。



母は年子の子育てで忙しく、



私は4歳くらいには「おおきな」お姉ちゃんとして扱われて



あまり甘えてはいけないような気がして、我慢をしていました。



お手伝いはかなりイヤイヤやっていたけど、

漫画を読んでも、

勉強しないでテレビをみても、

口うるさくされるわけでもないので

気楽に暮らしていました。











さて、なぜ美大に行きたかったかというと



マンガ家になりたかったのです。



月刊りぼんが楽しみで、自分もマンガ家にあこがれるように。



デッサンの訓練ができれば、大人になったらマンガ家になれる!と信じていたのです。











5.6年生の時の担任の先生が 指導がとても上手で



思いがけず、自分が絵を描くことが好きだと気付かせてもらえました。







小学校では、たまに誰かからクラス委員に推薦されて

しぶしぶ委員をやっていた、ちょっといやな思い出もありますが・・・















当時 神奈川県には ア・テストという制度があり、



実質中学2年生から受験勉強が始まるという



なかなか過酷な時代だったのもあります。





高校受験をする時間がもったいない、本格的に絵も勉強したい、と考えたのです。









中学受験をする、と自分で決めてからは



週6日、バスに乗って逗子の塾に通い、



日曜日は模試を受ける生活になりました。











その合間にも、月刊りぼんは毎号欠かさず読み(笑)



Gペンと丸ペンと、インクに

ケント紙を買い、まんがもせっせと描いていました。











勉強のほうは、まぁまぁ、

最初は成績が下のほうのクラスから始まったので

テストの点や偏差値があがっていくと面白くなってきて。



塾の先生は厳しかったけど、



クラスメイトが面白かったので、通うのが大好きでした。











親は「中学受験する」と言われてびっくりしたそうです。



金銭的な負担は今も申し訳なく思いますが、

講習中はお弁当を2個作ってくれて(昼食と晩御飯)

通わせてくれました。











動機が「美大にいきたい」なので



志望校は都内の美大に進学実績がある横浜の共学校でした。







しかし、こちらの受験日程が2/4と遅め。



2月1日開始の中学受験は第一志望から数校受験していくものらしいのです。







そこで



塾の先生に強くすすめられ、また、


「一緒に受けようよ!」と塾のクラスの友達にすすめられて、



湘南にある女子校に、練習もかねて受験することにしました。







(最初すすめられたときは、女子ばっかりの世界を想像して

怖くて泣くほどいやだった笑)











当時の倍率で7倍くらい、偏差値も横浜の学校よりだいぶ高めだったと思います。



教室で「この席の縦の列で1人くらいしか入学できないんだなぁ」



とクールに考えながら受験。











なんと、友達は受からなかったのに、



私が受かってしまったのです。







その友達に、



「よかったね、彩、おめでとう!」と涙目で言われて



わたし、ここじゃない学校のほうが行きたいんだけどな、



とは言えませんでした。







親や、先生たちも大喜びしてくれて、



これも運命なのかなと思い、入学することにしました。







こうして、進学校・しかも女子だけ・小学校からの内部進学生のほうが



多い中学校へ、うっかり庶民が通うことになったのです。











中学校生活はどうだったか、



マンガ家の夢はどうなったのか、







は、次回をお楽しみに。









バッグ・小物 ブログランキングへ





コメント
コメントする
トラックバック
この記事のトラックバックURL